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  • 朝野裕一

身体の動きの最適化と自由度の関係;補遺

数日前にこのテーマでブログを書きましたが、どうも言いたいことを

言い切れない感じが残ったので、ここで補足してみようと思います。

身体の動きの最適化とは何でしょうか?

ある目的を持った動作や作業に対して、最も効率の良い、ということは

その目的に沿って長くとか早くとか最大の力でとか、動くことを許す

効率の良い動きのことです。

またある状況や環境下では、最も安全でリスクの少ない動きと解釈する

こともできるかもしれません。

危険に直面した時などに必要なことになるでしょう。

ただし、危険を冒す動きをそもそも人間はしばしば意図的にするので、

リスクが少ないというのは時と場合によっては、当てはまらないかも

しれません。

ある状況と目的から最も適した行動・動作が最適化された身体の動き

ということになります。

では身体の動きの自由度とは?

どう動こうと、それを自由に選択できる余地と考えます。

コップを手に取るときの腕の動きの軌道は無限にあると言ってもいいの

ですが、その中のどれを選択するか自由に選べるというのが身体運動の

自由度と考えられます。

そのときの状況によって、動き方が異なるでしょう。

厳密に言うと、コップを手に取る動きなどは、ほとんど無意識的に行わ

れる動作でしょうから、

意図的に・意識して行なっているとは言えません。

にも関わらず、どう持つかは必ずしもこれが最適と言う条件はないので

自由に選べることになります。

たとえ無意識で行ったとしても。

ところがある目的動作を行う際に、一つの動き方(戦略)しか持てない

状態があったとしましょう。

これは最適な動きとは限りません。

とても効率の悪い、

あるいは危険な(例えば不安定な)動きかもしれません。

こうなると、

身体の動きの自由度が失われているということになります。

さて、

先日は身体の動きの自由度が最適に動くためには必要な条件と考えられ

る、ということを書きました。

何故ならば、

多くの動きの中から最も適した動きを選択するためには、動き自体の

自由度がなければなりません。

一方で、

動きの自由度は最適化された動き以外の、いわば無駄とも思われるよう

な動きを選ぶことも可能です。

それが動きの自由度ということになります。

全ての動きを(日常生活の様々な場面での)最適化しようとすると、

もはや自由度が失われた状態になってしまいます。

ですから、

身体の動きの最適化を図ることには、動きの自由度が必要と同時に、

自由度はもっと広く解釈されるべきものということです。

動きの最適化のために自由度があるわけではない、そのことをこの間は

言及できませんでした。

時には無駄な動きや、非効率な動きも許す、そんな自由(度)が、身体

の動きにも必要だと思います。

遊びや余地という言葉に置き換えてもいいかもしれない、自由度の捉え

方について、補足してみました。

こう考えてくると、自由(度)とは、身体の動きだけに限らない、

もっと広い哲学的概念にも結びつく考え方かもしれませんね。

何だか大袈裟に聞こえますが、自由度って大事だなということです。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。

参考文献)「マルクス・ガブリエル欲望の時代を哲学する」〜丸山俊一

・著、NHK出版新書、2018.

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